せっかちとは思ってたけど、本当にせっかちだったね。
松の内が終わろうとしたとき、奥様から寒中見舞いが届いたよ。
学生時代のゼミ以外の悪友で、年賀状が律儀に届くのはササだけ。
毎年三箇日には届いていたから、「あれ?去年は忙しかったのか」くらいにしか思ってなかった。
薄いグレーのハガキと、本人ではない奥様の字を見て、嘘だろと思った。
でも、今年の年賀状を書くとき、去年もらった年賀状を見返して、軽い言葉にしたのを思い出した。
「春に手術をしたけど、いまは元気になった」と書いてあったから、面白がってた猪木の言葉を借りて、たしか「元気ですかー もうそろそろ会おうよ」と。
いまごろ、ぷかぷかタバコを噴かして「アホ」とか言ってるんだろうな。
出会ったのは、もう30年近く前になる。
ゼミは違うけど外書講読で出会って、H先生の緩い研究室の雰囲気がみんな気に入ったんだよね。
外書講読なんてほとんど勉強してなくて、先生もそんな私たちの出来損ないぶりをすぐに思い知って、いつもあっさり講義を終わらせて研究室のコーヒータイムを楽しんでた。
私はゼミ生の顔は思い出せないのに、外書講読の面々の顔なら思い出せるよw
なんてったって、外書の講義でもなければH先生のゼミ生でもないのに、皆で研究室に入り浸ってたもんね。
ゼミ生のケイゾー君とシンちゃんがいたから入り浸れたんだから、礼をいうべきだね。
特にセブンブリッジの賭けでコーヒーの豆代を出し合ってたのなんて、学生時代の一番の想い出だよ。
ある日、誰かがそのコーヒー豆の缶をひっくり返してしまった。
もちろん慌てて皆で豆を拾った。
と思ったそのとき、ササの次の行動に気づいたシンちゃんと私は目を合わせ、腹を抱えて笑った。
だって、テーブルの上の豆は全部拾ったのに、またそれをササひとりが綺麗に拡げて一つずつ黙々と悪い豆を選別しながら入れ替えてた。
一つ一つ宝物みたいに扱う姿。
こちらで大笑いしてるのに、「だって美味しいほうがいいやん」と照れ笑いしながら続けてた。
きれい好きだし、よくいろいろなことに気がつくのに嫌味じゃなくて、さらっと嗜めてくれたなぁ。
30代も半ばのまだ結婚前、首の骨に異常がみつかったと電話で話してくれたね。
医者から「あなた、よく生き延びてきましたね。この症例の場合は20代も無理なくらいだったのに」と言われたって。
だから「オマケみたいな人生かもしれないなぁ」とか「涙もろくなってイカン」とか。
それが、ササがまだ東京にいた頃か、撤収したあとか、思い出せない。
転勤で後から上京してきたのに、「東京なんか大っ嫌いだ」と博多へ戻って数年後、結婚すると連絡くれたとき、嬉しかったなぁ。
最後に会ったのは10年以上前だろうか。
ケイゾー君に博多駅でバッタリ会ったって、連絡くれたこともあったね。
立派な中年になってたなんて、自分のことを棚に上げて。
律儀な年賀状には、いつも可愛いお嬢さんが笑ってた。
きっとメチャクチャ大切にしてたんだろうな。
奥様にもとても優しかったに違いない。
妙に律儀で不器用で正直なヤツだったから、きっと神様に選ばれたんだな。
私はしばらく会いに行かないからね。少し待っててよ。
シゲやシンちゃんやケイゾー君にいつか会えるように祈ってくれたまえ。
土産話を楽しみにしててね。
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