正月早々から始まった北九州市立美術館の「熊谷守一展」。
とても好きな画家の一人に加えた。
美大生当時から注目を浴びた油彩は、自画像がいい。
まっすぐな目でキャンバスに向かっていたのだなと思われる画風が、どんどん変容していく様が面白かった。
画歴の途中から、日本画のような塗り方と単純な線になる。
と同時に、配色とバランスの妙が際立ってくる。
画家の個性が立ち現れるようだ。
日本画も水墨画も墨書も嗜んだことは、
後半の展示で分かった。
一見平板に見えても、近寄ればわずかな濃淡と重ね塗りが光を捉える。
消え入りそうな輪郭線が、緻密な計算のうえに残されて強い印象を残す。
その慈しむ視線と肌触りのいい配色がとても好きになった。
今回、とくに気になったのは、額縁の横に貼りつけられたハガキよりも小さなパネル。
通常は、画家の一生のなかで、どのような時期にどのような心情で描かれたのかなどの画の裏側を伝える。
この97歳の大往生だった画家は、脳卒中を患ったあとの30年はほとんど外出せず、
家の廻りの命をただひたすら見つめ続けたという。
「切り花は死骸のようで嫌だ」とパネルにあった。
画家は何ものにも捕らわれず、仙人のように命への讃歌を描き続けた。
昨日は、阪神大震災から17年目。
昨年の東北大震災から10ヶ月を経て、東北と阪神の震災経験者がお互いを思いやる。
遺された悲しみはあまりにも大きい。
若くして亡くなった子らを胸に、ただひたすらに描いた画家。
天寿を全うしたその画は静かに佇む。
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追記:
画家の次女が初代館長を務める「豊島区立 熊谷守一美術館」があるという。
派手ではないサイトの様子も好ましい。
次回、上京の折には是非訪ねてみたい。
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kavachan (木曜日, 19 1月 2012 09:45)
あえて関係者宛に注文を書いておきたい。
できれば、今回のような展覧会は本館で開催して欲しかった。
交通の便は西小倉駅にほど近いリバーウォークにある分館のほうがいいだろうが、この時期に分館で開催する意義はどこにあったのだろうか。
この画家を知れば知るほど、本館で開催したほうがより深く味わえたのではなかろうかと思う。
北九州市立美術館の周囲は、鬱陶しいほどの木々に囲まれている。
この季節は枯れた風情が美しい。
画と、冬の北九州の街並みを見下ろす風景も楽しめただろうにと思う。
なかでもロビー正面から二手に分かれる大階段の中二階にある休憩場所など、とても味わい深いのに。
裏手の庭に面して座れば、時間が止まる。
画家と同じような(わけにはいかないだろうが)感慨に耽ることも可能かもしれない。
今回の展覧会は小品が多いが、空間が変わるだけで見栄えも異なる。
一市民の声として、関係者にご一考いただければ嬉しい。